関東・関西を問わず、栗きんとんはおせち料理の超人気メニュー。
関東では田作りと呼ばれるちっちゃなカタクチイワシの炒り煮、
あれは関西では「ごまめ」と言いますね。
睨み鯛と呼ばれる鯛の塩焼きが一際目立っているのも関西風おせち料理の大きな特徴で
、あの鯛は、ずっとお正月の間にらみつけていてもらうのが役割で
食べちゃいけないらしいんですよね。
さらに北海道や東北では元旦の朝ではなく
大晦日の夜におせち料理を食べる習慣のある地域も少なくないようです。

おせちの起源の経験談です

おせちの起源は、諸説がありますが、有力なのは、江戸時代、大阪商人が商売繁盛の祈願から作ったとする説です。
船場の旦那衆の遊びなども、おせちの起源としてあり、豊臣秀吉の家臣である堀尾吉晴が節分の前日に海苔巻きを食べたのが起源とする説もあります。
故事を元にしているおせちの起源もあり、様々な起源説が唱えられています。
厄落としや縁起担ぎとか、女性が太巻きをかじって願い事をしていたという、おせちの起源もあります。
おせちの起源説は江戸時代のものが多く、専門家からは根拠の乏しさが指摘されています。
祓鬼来福の祈念をするのがおせちで、福巻寿司発祥の地の石碑もあることから、それが起源とする説もあります。
おせちには、鬼の金棒に見立てて邪気を祓うという意味もあり、縁を切らないとか、福を巻く意味もあります。
夢福巻き寿司という太巻きが昔からあり、太鼓の合図とともに太巻き寿司を丸かぶりしていたのがおせちの起源とする説もあります。
大正時代初期、大阪の花街で節分の時期に食べる風習があって、それをおせちの起源とする意見もあります。

おせちの起源の説は多岐にわたり、土用の丑の日に鰻を食べる習慣に対抗する策としてできたものとする説もあります。
幸運巻ずしとしておせちの販促キャンペーンが展開された経緯もあって、その後、一般に浸透していきます。
しかし、これだけ、たくさんのおせちの起源説があるものの、いずれも不確かであるというのが実情です。
また、大阪ではその当時、巻き寿司早食い競争なども行われていて、そうしたことが、おせちの人気に拍車をかけました。
海苔の販売促進行事や巻き寿司早食い競争がマスコミに取り上げられたことで、おせちは知られるようになっていきます。

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