2008年には忽那汐里はユニチカのマスコットガールにも選ばれていて、たちまち人気者になります。
そして忽那汐里は、江崎グリコのポッキーの第50代ポッキープリンセスに抜擢されていて、
このCMで彼女の人気は不動のものとなりました。
さらに2009年には、なんと忽那汐里は、
国際生物学オリンピックの生物大使にも任命されていて、実力、人気共に大きく一歩前進します。
あの有名な国民的美少女コンテスト出身者なので、
忽那汐里の名前が広がるのにそれほど時間はかかりませんでした。

忽那汐里の事務所ブログです


2006年、忽那汐里にCMへ出演させた時も、育児を理由として仕事を避ける彼女に対して、事務所が説得したものです。
血のにじむような努力で事務所は忽那汐里を説得していて、中村獅童の不祥事が重なって不仲説が浮上したのも事務所の画策です。
その前ふりとして、事務所は忽那汐里の不仲説を報じておいたわけで、事務所の作戦は執拗なものでした。
マネージャーは相談を受けながら、忽那汐里に対して、事務所の意向に沿って、巧みに離婚の方向へと進めていったのです。

忽那汐里の離婚には当初から事務所の意向が働いていて、離婚することで損をこうむるのは中村獅童だけでした。
その他は全員が得をするようになっていて、事務所は一致団結して忽那汐里の離婚を成立させようとしました。
実際、忽那汐里はマネージャーを深く信頼していて、マネージャーに良く相談していたので、事務所の術中にはまりました。
この騒動で最も得をするのは事務所で、忽那汐里はまさに事務所に誘導されて離婚を迫られたと言っていいでしょう。忽那汐里の離婚をしかけたのは事務所といわれていて、稼ぎ頭であった彼女のできちゃった結婚は事務所にとって大きな打撃でした。
子供にとって良かれと思った行動が、忽那汐里と中村獅童のつながりを削ることになり、これも事務所の思惑です。

忽那汐里と中村獅童の間には、当初、離婚どころか、軋轢もなかったのに、事務所がそれを画策したのです。
もちろん、中村獅童も自分がまいた種なので、事務所の意向で忽那汐里と別れさせられても文句は言えません。

カテゴリ: その他
カテゴリ
ログイン
RSS