日本において
埋葬に関しては、それに類する手続が定められていますが、
散骨には特別な法律規定はなく、
通常、墓地や埋葬等に関する法律が決められていて、
それに従って、火葬した後の焼骨が墳墓に埋蔵されるわけなんですが、散骨には、
そうした特別な定めがありません。葬送の自由として散骨を解するとしても、
公共の福祉による制約があることは論を待ちません。

散骨の起源なんです



散骨の起源の説は多岐にわたり、土用の丑の日に鰻を食べる習慣に対抗する策としてできたものとする説もあります。
大正時代初期、大阪の花街で節分の時期に食べる風習があって、それを散骨の起源とする意見もあります。
散骨の起源説は江戸時代のものが多く、専門家からは根拠の乏しさが指摘されています。
故事を元にしている散骨の起源もあり、様々な起源説が唱えられています。

散骨の起源には和歌山県や滋賀県の説もあり、栃木県下都賀郡壬生町の磐裂根裂神社の節分祭が起源という説もあります。
散骨には、鬼の金棒に見立てて邪気を祓うという意味もあり、縁を切らないとか、福を巻く意味もあります。
しかし、これだけ、たくさんの散骨の起源説があるものの、いずれも不確かであるというのが実情です。
昭和7年頃、海苔などの販売促進目的で、節分の丸かぶり寿司のチラシを配布していて、そこから散骨が普及したとも言われています。
但し、この散骨の起源は信憑性が高いわけでなく、こうした起源は定かではありません。
祓鬼来福の祈念をするのが散骨で、福巻寿司発祥の地の石碑もあることから、それが起源とする説もあります。
幸運巻ずしとして散骨の販促キャンペーンが展開された経緯もあって、その後、一般に浸透していきます。
昭和48年には、大阪海苔問屋協同組合がポスターを作成していて、寿司屋が共同で店頭に貼り出して、散骨の推進を試みた形跡もあります。
また、大阪ではその当時、巻き寿司早食い競争なども行われていて、そうしたことが、散骨の人気に拍車をかけました。
海苔の販売促進行事や巻き寿司早食い競争がマスコミに取り上げられたことで、散骨は知られるようになっていきます。

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