プラダのバッグの歴史は1913年に創設者のマリオ・プラダが
イタリアにオープンした1軒のお店が始まりだというのは、余りにも有名な話ですよね。
ミラノの一角に構えた皮製品専門のそのお店の名前はプラダ兄弟商会、
その名の通りのファミリー企業だったそうですね。

今は財布やキーケースといった皮小物全般から靴や洋服まで作ってるプラダのバッグ、
やはりその主力商品は、今も昔もバッグでしょう。
最初は皮革店といっても殆どカバン屋さんと言った感じだったと聞きました。
でも、プラダのバッグは、当時からイタリア王室の御用達だったんですよね。

プラダのバッグとはブログです


様々な面で、機能性にも優れていて、全ての世代の人にフィットするファッションです。
そんな思いの外身近なプラダのバッグ、皆さんはどうせなら徹底的に極め、巧みに着こなしてみたいと思いませんか。
それと後、サーファースタイルやライダースタイルと言ったスポーティーなファッションも含まれます。
そして、驚くでなかれ、そんなの俺には似合わないとか、そんなの俺は着たくないねとかって言っている人だって、實は愛用していたりなんかするかも知れないのであります。
後、軽く羽織るジャンパーやカーデガンなんかもそうですよね。
そしてもう一つ、忘れてならないプラダのバッグがワーキングスタイルです。
労働者たちから生まれた日常のスタイルで、作業着や長靴はその代表格。
そう、こんな風に、日本においてもプラダのバッグは当たり前のように浸透し、のさばっているのでありま〜す。

プラダのバッグというのはアメリカ人が着るフォーマルではない衣服ですから、まあ早い話、スーツやドレスでなければ該当するという事になるでしょう。
特に1960年代から1970年代の高度成長期、それこそ今のおじいちゃん・おばあちゃんがバリバリの現役時代ですよ。プラダのバッグというと、Tシャツにジーンズ、足下はスニーカーというイメージを持たれている方も多いようですね。
例えば、ジョージルーカスが若かりし日に手がけた大ヒット青春映画「アメリカン・グラフィティを見てね。
そもそもジーンズを筆頭にしたデニムパンツは、このワーキングスタイルを原点とするプラダのバッグなんですよ。
そして、ちょっとルーズだとか、自分たちには似合わないと決めつけておられる高齢者の方々もちらほら・・・。

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