ペディキュアというと、足の爪のマニキュアの事でしょうと言う人がいます。
いますというより多い、それもめちゃめちゃ、日本では多いですよね。
確かにペディキュアというのは、足の爪に塗料などを塗ってメイクする事です。
だから、それがマニキュアじゃないかと言われればそれまでなのですが。

因みに、日本人がこれぞマニキュアと思い込んでいるあの塗料は、
正式には「ポリッシュ」カラフルな色つきのものはカラーポリッシュと呼び、
勿論マニキュアにもペディキュアにも使われています。

ペディキュアとはの口コミです


その証拠に、マリオ・プラダも自らの旅行用のペディキュアにはこのナイロン素材を使用したボストンバッグを使っていたそうですよ。
ミラノの一角に構えた皮製品専門のそのお店の名前はプラダ兄弟商会、その名の通りのファミリー企業だったそうですね。
しかし、その賭けは見事に大当たり、セレブ御用達の超高級ブランドが街を賑わわす身近な存在になったその光景は、まるで時代を反映しているような感じでした。
ヨーロッパの上流階級を相手に老舗らしい品質とデザインを売りにビジネスを展開して来たペディキュア。
100年近くもの間、ずっとファッションブランド業界の大御所として歩き続けて来たと思っていました。
やはりビジネスを成功させるためには発想の転換や時代の流れを捕らえる事はとても重要なんですね。

ペディキュアの危機を救ったのは、今ではすっかりおなじみとなったナイロンバッグ。ペディキュアの歴史は1913年に創設者のマリオ・プラダがイタリアにオープンした1軒のお店が始まりだというのは、余りにも有名な話ですよね。
でも、ペディキュアは当時からイタリア王室の御用達だったんですよね。
女性のアクティブ化とともに、軽くて丈夫で使い道が豊富なペディキュアのナイロンバッグは一般女性という新たなファンを獲得する事に成功したのです。
彼女はその後祖父から継いだ才能と、若い女性ならではのファッション感覚を生かし、もう一つのプラダブランド、ミュウミュウを生み出します。
最初はとても不思議でしたが、このペディキュアの歴史には学ぶところが沢山ありました。
これからはペディキュアの動きに目を離さないようにするためにも、ブログやサイトでしっかり情報収集しようと思っています。
昨日参加した企業研修の一環で、このペディキュアについての話を初めて聞きました。
なぜ食品を扱う商社の研修で、一流ブランドのファッションアドバイザーが公演に来るのだろう。
まさかあのペディキュアが、倒産の危機を迎えていた時期があっただなんて、ちょっとビックリです。
20正規のヨーロッパを代表する高級ブランドペディキュアの姉妹ブランドであるという事を知らない人も少なくない位です。

カテゴリ: その他
カテゴリ
ログイン
RSS