延命治療の措置をした場合とそうでない場合の生存期間には、どれくらいの差があるのでしょうか。
そして延命治療で得た状態というのは、
どのくらいの生命の質があって、それを維持できるのでしょう。
苦痛がなく喜びや楽しみのある生活を取り戻す事ができなければ、
果たして延命治療にどけだけの意味があるのでしょうね。延命治療というのは、
実際の医療の現場においてもこれが本当に大切な救命治療なのかどうか物議を醸しています。

延命治療の問題の経験談です


一般的に、脳死臓器摘出については議論する場があまりないので、延命治療の問題は、なおざりにされている感があります。

延命治療の問題は、生きている人の臓器でないとダメなことで、このことを一般に知らしめると、臓器提供者が減ってしまいます。
つまり、生きた体から取り出した新鮮な臓器を使用しないと、延命治療が成り立たないということになります。
普通、延命治療というと、死んだ人の体から臓器を取り出して、患者に移植すると考えます。
臓器提供本人が同意さえしていれば、脳死状態で臓器を摘出して、延命治療をすることができます。
移植を受けた患者の方ばかりに焦点が当てられていて、臓器摘出を受けた人は無視されているのが、延命治療の最大の問題です。
一般の人はそうした状況下において、延命治療の意思表示をしているという現状にあります。
少しの勇気で救われる人がいる、あるいは、移植した人の体の中で生き続けると言う言葉で、延命治療は美化されています。

延命治療は、そうした美しい言葉が判断の根拠になっているところに、問題が潜んでいるのです。
つまり、どうせ死ぬのだからと延命治療について、安易に考えてはダメだということです。
様々な問題があるので、延命治療に関しては、敢えてこの事実を推進団体は隠していて、触れないようにしているのです。
しかし、問題は、一般の人が、脳死や臓器摘出について、詳しく理解していないことで、そこに延命治療の大きな問題が隠されています。

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