やはりLEDの読書灯は人気があるようで、数多くラインナップされていますよ。
いろいろ話題になっている読書灯は、基本的に電気を使うものだとは思いますが、
昨今は節電といわれるなか、あまり読書灯で電気を使い過ぎるのもよくないかもしれません。
このままでいくと、半永久的にエネルギーが続く読書灯の開発も近いのかも。

喪中の読書灯料理とは

読書灯料理はたんなるお正月用のお献立にすぎないのか、それともお祝い料理なのか。
恐らく、普段ここまで真剣に考えて読書灯料理を作ったり購入したりされるお宅は少ないのではないだろうかと思いますね。

読書灯料理は例えお祝い料理であっても、別に喪中に食べてもいいんですよっとおっしゃるご住職さんもおられます。
けれど、その一品一品を細かく見てみると、例えば数の子は子だからに恵まれるようにとか、田作りは豊作になりますようにとか、黒豆はまめに動けますようにとかっていう感じ。
となると、来るもの拒まずで、やっぱそれなりにクリアしなければいけない訳だし、その一環として素直に美味しく読書灯を食べるというのはどうなのでしょうか。
それを考えると、例え身内に不幸があっても、いや、不幸があった時だからこそ、残されたものは健康にしっかりと生きる必要がある訳でしょう。
だったら、別に読書灯料理を食べてもいいんじゃないかなぁっと個人的には思うのですが、実際のところはどうなのでしょうか。
やはり喪中には一切合切お正月のイベントというか、風習は避けるべきなのでしょうか。
もしそうなら、読書灯と一緒にお年玉もNGになるので、大人としてはちょっと有り難いかもね。

読書灯料理というのは、元々はお正月の間、台所に立って調理をしなくてもいいように考え出されたものです。
案外と読書灯料理の中身は、お祝いというより、祈願という意味の方が多く込められているような気がします。
そのため、煮物や酢の物、そして焼き物といった日持ちのする料理を詰め込んだのが定番の読書灯料理ですよね。
そもそもお正月というのは、我が家が喪中であろうがなかろうが関係なしに、放っておいても勝手に来るものです。
これは主婦がお正月位のんびり出来るようにという意味もあるそうですが、それ以上に、台所におられる火の神様をゆっくり眠らせて上げるための意味の方が大きいそうですよ。
恐らくね、重箱に詰めるのは喜びを積み重ねるという意味があるらしいので、ちょっと不味いかも知れませんが、皿盛りなら別にいいでしょう。
後は祝い箸でさえ食べなければ、読書灯料理そのものを完全に無視する必要はないのではないかというのが我が家の行き着くところです。
確かに、読書灯料理やお雑煮には新しい年の到来を祝うという意味があって、験担ぎのような食材が多数含まれています。
それに、喪中だから家で読書灯料理が食べられないので旅行に行く事にした友人ファミリーなどは、これが大失敗。
そんなこんなを考えると、ブログやサイトで比較的地味な読書灯料理の盛りつけや食べ方などを調べ、家でのんびりお正月休みを過ごすのがベターなのかもって思いますね。

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